やわらかい認知行動療法、というタイトルをつけてみた。
”やわらかい”といった言葉に違和感を感じる人もいるかもしれません。
私は、やわらかさってとても大切だと思います。
「こうでなきゃだめ」「~であるべき」といったかたくなで、とらわれている考えに追い込まれている心、苦しそうですよね。心がとても硬くなってしまっているように感じます。その考えが正しい考えであったとしても、硬い心は何も受け付けなくなってしまい、心に栄養も届かなくなってしまいそうですよね。「仕事はしっかり間違いなく遂行すべき」といった考えも、「時間は守るべき」「人には思いやりを持って接すべき」といった考えもいいものですし、多くの人がそれは大切って思うものかもしれませんが、それらを使って自分や人を追い詰めてしまうと苦しくなりますよね。
「もうどうでもいい」「どうしようもない」といったあきらめで満ちた、虚無的な状態も、苦しいですよね。これは、心のケアなんてもう必要ない、どうでもよいといったように、心を捨ててしまうかのような状態かもしれませんよね。忙しいという言葉の「忙」という字も、心をなくすと書くんですよね。
私は、やわらかさって、この硬い心と心を無くした状態の合間に存在するのかな、って考えていました。
心に栄養を届ける為に、心を柔らかくすること、それが心理療法で行っていることだと思います。硬いと栄養をもらっても、なかなか受け取ることが出来なくなりますし、受け取るはずの心をなくしてしてしまうと、受け取る場所、感じる場所がなくなります。(後者は、ニヒリズムとも繋がりますよね)認知行動療法も最終的には自分で心に栄養を与えることができるようになる、そのための取組みです。
だから、やわらかい心を目指す、認知行動療法として、やわらかい認知行動療法と言ってみました。しばしば、認知行動療法っていうと、硬く、表面的で、技法的で、ハウツーを学ぶように感じる人もいるようです。そんなことはありません、ということを表明してみたかったのです。
今後時折、やわらかい認知行動療法について、書いてみたいと思います。