父を想う故郷はいつ行ってもいい。生まれ育ったあの山や川。 俗世のしがらみの中で、あえいでいる自分がなんだか他人ごとのように小さく見える。
それくらい山は大きく伸びやかである。
平成4年、74才で父は逝った。戦争で満州に行き、死線を越え生まれ故郷である
“秋田、鹿角(かづの)”の山村に戻った。
次男として生まれた父は、親からもらったわずかばかりの田と畑と山を耕し、
辛酸をなめながら終えんの地としてそこで生きた。
自然との厳しい闘いを誰のためにとおもいはせた時、それは子や妻のためであり、
家族のための何者でもなかったはずである。
ことに父は杉の木を愛でた。「山が欲しい!何としても杉の木を植えたい!」が口癖だった。
山を買い雑木を切り払い、杉が育つように山を作った。根がつくまでに5.6年かかる。
背丈位になってからも、まだまだ刈払いが続く。気の遠くなるような作業を山を相手に
やり通したのである。
育ちゆく杉の木を仰ぎながら、「よしよし!これで大丈夫だ!」と言って満足げに煙草を
ふかしている姿が昨日のように想い出される。
自分の分身のように愛でた杉の木も今は太い幹となり林となって真っ直ぐに空に向かっている。
時代も変わり、杉の木の金銭価値は無いに等しいが、土にしがみ杉の木に生きる夢を
たくした父の一本の筋なす川が、私のこれまでのカウンセリング観や人間観につながる
何かをもらたしてくれている気がする。