やわらかい認知行動療法、というタイトルをつけてみた。
”やわらかい”といった言葉に違和感を感じる人もいるかもしれません。
私は、やわらかさってとても大切だと思います。
「こうでなきゃだめ」「~であるべき」といったかたくなで、とらわれている考えに追い込まれている心、苦しそうですよね。心がとても硬くなってしまっているように感じます。その考えが正しい考えであったとしても、硬い心は何も受け付けなくなってしまい、心に栄養も届かなくなってしまいそうですよね。「仕事はしっかり間違いなく遂行すべき」といった考えも、「時間は守るべき」「人には思いやりを持って接すべき」といった考えもいいものですし、多くの人がそれは大切って思うものかもしれませんが、それらを使って自分や人を追い詰めてしまうと苦しくなりますよね。
「もうどうでもいい」「どうしようもない」といったあきらめで満ちた、虚無的な状態も、苦しいですよね。これは、心のケアなんてもう必要ない、どうでもよいといったように、心を捨ててしまうかのような状態かもしれませんよね。忙しいという言葉の「忙」という字も、心をなくすと書くんですよね。
私は、やわらかさって、この硬い心と心を無くした状態の合間に存在するのかな、って考えていました。
心に栄養を届ける為に、心を柔らかくすること、それが心理療法で行っていることだと思います。硬いと栄養をもらっても、なかなか受け取ることが出来なくなりますし、受け取るはずの心をなくしてしてしまうと、受け取る場所、感じる場所がなくなります。(後者は、ニヒリズムとも繋がりますよね)認知行動療法も最終的には自分で心に栄養を与えることができるようになる、そのための取組みです。
だから、やわらかい心を目指す、認知行動療法として、やわらかい認知行動療法と言ってみました。しばしば、認知行動療法っていうと、硬く、表面的で、技法的で、ハウツーを学ぶように感じる人もいるようです。そんなことはありません、ということを表明してみたかったのです。
今後時折、やわらかい認知行動療法について、書いてみたいと思います。
父を想う故郷はいつ行ってもいい。生まれ育ったあの山や川。 俗世のしがらみの中で、あえいでいる自分がなんだか他人ごとのように小さく見える。
それくらい山は大きく伸びやかである。
平成4年、74才で父は逝った。戦争で満州に行き、死線を越え生まれ故郷である
“秋田、鹿角(かづの)”の山村に戻った。
次男として生まれた父は、親からもらったわずかばかりの田と畑と山を耕し、
辛酸をなめながら終えんの地としてそこで生きた。
自然との厳しい闘いを誰のためにとおもいはせた時、それは子や妻のためであり、
家族のための何者でもなかったはずである。
ことに父は杉の木を愛でた。「山が欲しい!何としても杉の木を植えたい!」が口癖だった。
山を買い雑木を切り払い、杉が育つように山を作った。根がつくまでに5.6年かかる。
背丈位になってからも、まだまだ刈払いが続く。気の遠くなるような作業を山を相手に
やり通したのである。
育ちゆく杉の木を仰ぎながら、「よしよし!これで大丈夫だ!」と言って満足げに煙草を
ふかしている姿が昨日のように想い出される。
自分の分身のように愛でた杉の木も今は太い幹となり林となって真っ直ぐに空に向かっている。
時代も変わり、杉の木の金銭価値は無いに等しいが、土にしがみ杉の木に生きる夢を
たくした父の一本の筋なす川が、私のこれまでのカウンセリング観や人間観につながる
何かをもらたしてくれている気がする。
私は過去に随分と長い間、嗜癖問題、つまり依存症の回復援助に取り組み、学んできた。
ふと、このことについて考える機会があったので書いておく。
依存症とは、空っぽな内側を満たそうとする必死の行動であり、それがないと耐えられないもののように感じるものに突き動かされ、本当の自分が求めているものを得られない状態に陥っていることである。
その痛々しいまでの求めてしまう行動を、”渇望”とも呼ぶ。
しかし、依存することで獲得して内側を満たしたと思ったものは、すぐにこぼれ落ち、決してその空っぽな内側を満たすことがない。
過去の生育、様々な経験において、健全に自らを認められ、受け入れられ、満たされた感覚を持つ人は幸いである。しかし、過去にそのような経験が少なくとも、あるいは記憶になくとも、改めてそれを満たしていくことが出来ることは、決して楽なことではないが、多くの回復者の人たちの存在が語っている。
認知行動療法やその他の心理療法においても、その人が何を満たされてこなかったのか、どの様に自分を満たそうとして依存的な行動に走ってしまうのか、より馴染んだ依存行動を取ってしまいがちな自分を止め、それに代わっていくもの探しと対策、内側を満たしていく感覚を育てるべく、継続的に取り組んでいる。
ホームページを見ていただいて、ありがとうございます。 趣を変えました。 今後も、様々な情報や日々に感じることの発信を、少し定期的に(どの程度定期的かは見ていてください)続けたいと考えています。
今日は円環日食でした。雲の合間というか、雲越しに見ることが出来ました。 地球、月、太陽と一直線上に並ぶなんて、自然も時々面白い演出をしてくれますね。