新しく2名の方より貴重なご意見をいただきました。
☆Y.Aさん(30代、女性)
★Xさん(60代、男性)
今回はお知らせです。 表記の勉強会を、年間を通して行ないます。 4月から始めますが、途中からでも参加は大丈夫です。
ご自身の課題を何とか乗り越えようとしておられる方は、 参加をご検討ください。 4月は23日の火曜日夜を予定しています(基本的に、毎月第四火曜日夜) 出席確認は、開催の前の週の土曜日正午までにお願いしております。
詳細は、
http://www.tmaweb.net/academy/regularsemi/semi.html?i=8
にあります。
分かってきたことがなかなか止められない、それは決して変なことではありません。 共に学びを深めていく時間を持てたらと考えております。
所長武藤が3月24日(日)8:25~放送のNHKの番組「サキドリ」に出演いたします。
鍛えないと損するョ!”雑談力”
“http://www.nhk.or.jp/sakidori/”
先日に続き、別の感情の意味を考えてみたい。
今回は、「怒り」という感情だ。
この感情には、手を焼いている人も多いのではないだろうか。この感情が強く人に向けば危険と分かっているので、多くの人はそれを止めたくないと感じつつも止めることに力を注ぐ。また、この感情が反対に自分に向けば、これもとても危険なことは明らかである。
では、この感情がない世界とはどの様な世界だろうか。
今、私はキーボードを叩いているが、この手の上に人が荷物をドンと置いたら、私はきっと怒るだろう。同じ状況で、当然怒りとは異なった感情が生じる人もいるだろうが、それは個人差だ。
怒りを感じた時に、私は別にその荷物をおいた人に殴りかかっていくとは思えないし、怒鳴りつけるともあまり思わないが、不快感を示すだろう。そのことによって、私は自分の主張をするし、自分の身を安全に保とうとするだろう。
怒りは、その感情に囚われない限り、といってもそれが難しいと言われるのだが、自分やそのほかの何か大切なものを守るために存在していると思われる。
私はかつて、この感情を随分と苦手としてきた。よって、古い友人は私のことを「短気だ(った、と過去形にしたい今の私がいるが)」という。
性格はそうは変わらない。しかし、その性格に振り回されなくなることはできる。これも心理療法の取組みの一つだと考えている。
日頃よりご利用いただいております皆様からの声が届きました。 これからも、随時更新していきたい思っております。 カウンセリングへの様々な思いのヒントになれば、と願いを込めて。 【ご利用者の皆様の声】 https://mentalhealth.jp/consultation_page/voice
お正月に、2歳になったばかりの男の子に会いました。
彼のバーバと私はとても似ているらしく、「これ(私)誰?」と尋ねると、
嬉しそうに「バーバ!」と言います。
その前に、しかっり人気を得られるプレゼントを贈っています。
おもちゃで遊んでいた彼に、同じように尋ね同じように嬉しそうに「バーバ!」と
答えるのを確かめた直後、、、
彼の前に彼のバーバと並んで「これ(私)だあれ?」と いたずら心で訊いてみました。
彼は並んだ二人を見て困ってちょっと固まってしまった後、黙って顔を背け
おもちゃと遊び始めました。
彼のいたずらバーバが、「さて誰でしょう?」と彼を困らせようとするのを止めました。
こんなに小さな心も、大きな(?)混乱から心を守る工夫や努力をするのだなあと感動しました。
否認や回避という防衛が生まれる瞬間に立ち会ったことになるのでしょうか。
「心を守ることができる」ことはとても大切ですが、たくさんの小さな心が過剰に防衛を
機能 させずに過ごせますようにと願います。
心の誕生は3歳とも言われますが、それ以前の様々な体験の中で心は育まれ心の形が作られて
いくのだなあとつくづく学びました。
ヨーロッパに行くと、どんな小さな村にも不釣り合いなほど立派な教会がある。
私たちは教会をみると、天にそびえるゴチックの尖塔や複雑なタンバンに目を奪われる。
しかし、教会はこの世の天国であり、その中で祈る人に天国を感じさせるための様々な
仕掛けが施してある。
その代表的なものが光である。
バラ窓やステンドグラスは、ただ眺めるためにあるのではなく、差し込む光を赤や青の
幻想的な光彩に変えて、床や椅子や、時にはキリストやマリアの像に、天国の絵画を
描き出す。
それは一瞬の幻のようであり、それゆえに人々は天国の存在を知るのであろう。
現代の科学は、レンズとC-MOSを通じて、一瞬の幻を電気信号に変え、パソコン上に
永遠の絵画として定着する。
それは、神聖なものを独り占めしてしまったような罪悪感と満足感に満たされる時でもある。
私たち人間は、時に様々なものにとらわれる。
その多くは、考えや感情、自分自身だ。
厄介な人だ、問題だ、という反論もあるかもしれない。
しかし、過去を振り返って、あの時は随分とあのことに囚われていたなぁといった、
思いを持つ人もいるのではないだろうか。まさに、私たちが自分に囚われていた証だ。
そして、自然はそのままにある。国破れて山河在り・・・などと言われるように。
私たちのこころもそのままに自然と共にある、はずだ・・・。
しかし、私たちはその状態を、簡単には手に入れられない。
何を通してその自然の感覚に触れられるのか、人により様々である。
かつて、私たちは様々な自然を敬い、あらゆるものに神性を感じてきた。
本当の苦難に耐えている人は、必ず変化が訪れることを信じて欲しい。
自然は、絶えず変化し続けている。同じものは一つもない。
終わりないかのように、長く感じるトンネルに、必ず終わりと新たな始まりがある。
多くの人が、そのことを真摯な取り組みを続ける中で示してくれた。
今の心を自然のあるがままに感じながら、それが変化していくことを感じていこう。
気がつくと、今、既に目指したゴールに立ち、先に向かって進もうとしている自分がいる。
このようなスタンスは、認知行動療法においては、マインドフルネスが新しい哲学と
アプローチを投げかけてくれている。
『妊活』
この言葉を最近インターネットや雑誌で目にしました。
「妊娠・出産について正しい知識を身につけ、
自分にあったライフプランを立てること」です。
婚活の次は妊活なのですね。なるほど!
女性として、妊娠・出産は人生の中で大きなライフイベントの一つです。
女性は様々な場面で人生の変化が訪れますよね。
妊娠となれば仕事をお休みしたり、辞めたりしなくてはなりません。
夫婦にとって、妊娠はとても嬉しいことだけど、でも色々な不安や
思いも出てきたり・・・
とても繊細な女心です。
妊活が上手くいかない時には、悲しくなったり泣きたくなったり、
パートナーとの関係性がギクシャクしたり、自己嫌悪になったり・・・
とても複雑な思いをもたれるかと思います。
妊娠をまだ先と思っている時も、既に考えている時も、活動を終えた時も、
どんな時でも自分自身を大切に労ってあげられたら、どうでしょうか。
私自身、そんな風に過ごせたらいいな、過ごしたいなと思っています。
自分の人生ですものね
そうしなかった自分を責め苦しむクライエントさんの心に触れると、
私の心に「できなかったとしても、あなたは悪くない」という思いが
湧き上がり、それを伝えたくなってしまいます。
喉まできているその思いを横に置いて、
「そうできたら良かった!そうしたかった!ってね」と言葉にしました。
すると、クライエントさんは、
「何でそうできなかったんだろうと『後悔』かな。」
「気づいただけでも、理想の自分に近づいたかな」
「もうちょっとで、あともうちょっとで、、、、。」
「今度同じような状況になったら、きっとそうすると思う」
焦りや不安で固まって身動き取れなかったクライエントさんの中に、
冷静に行動できる自分を信じる自己肯定感がゆっくりと立ち上っていく場面に
立ち会うことができました。
私は、またもや危うく邪魔をしてしまうところでした。