つらい体験の中で私たちを苦しめているものは人やモノや出来事なのですが、
苦しめ続けるものはその体験をとおして作られた自分に向けた強い否定的な
イメージです。
EMDRを受けたいと来談されたお一人(女性30歳)は、小さいときに母親に
傍にいてもらうことができず淋しく怖い夜を過ごしていたそうです。
祖父母から何かにつけ酷く叱責されるだけでなく不在の母への非難の暴言も
ぶつけられながら、つらい子ども時代を過ごしたそうです。
「家を出るための結婚」をして子どもを持ったのですが、今少し成長した娘を
可愛いと思えません。
冷静に「うんうん」と話は聞き教えることや注意すべきことはして、形だけは
母親として接していますが、抱き寄せたり抱きしめたりすることができません。
「娘は本当は甘えたいと思っているでしょう、自分が辛かったのと同じ淋しい
思いをさせてしまってる」と自分を責めるのですが、どう接して良いかわからず
一緒にいることすら苦痛でしかたがないのです。
クライエントの方がEMDR(両側性のリズミカルな身体刺激による脱感作と再処理)を
体験しながらご自身の心を見つめていくと、そこに立ち会わせて頂いている私の前で
不思議で感動的なプロセスが繰り広げられます。
そこでは身体が緩み過去の体験があふれ出て、苦しみの中を生きてきた自分への
理解が深まっていきます。
すると、もう自分を責める思いはなくしみじみと自分をいたわる気持ちに包まれます。
その方も、肩の力が抜け今までの自責感が和らぎ
「もう、十分。できる限りのことをやっている」
「娘は可愛そうだけれど、今はしょうがない」という思いに至りました。
そして「だから、娘にも気持ちを話せる人を見つけてあげたい」と結びました。
※この事例は個人が特定されないように弊社であった相談をいくつか組み合わせて作ったものです。
NHKのスーパープレゼンテーションという番組が好きで、時折見る。
先日は、”To This Day” ・・・for the bullied and beautiful 「今でも」 ~いじめに悩む美しい君たちへ
というものであった。
とても印象的で、プレゼンターの熱い思いが伝わってきた。
どうやら、これはユーチューブで注目された作品のようだ。
実際に、人と協働して、自分の詩に映像をつけて、発信して、取組みを拡げていく取組みになっているようだ。
あちらこちらで、人は自分の信念に従って具体的に行動をしている。
さて、今日も私も頑張る。
どうして?楽しそうに笑っていたのに、本当は怒っていたの?
盛り上がって会話をしていたのに、本当は早く終わらせたかったの?
元気にしていたのに、本当は気分がすぐれなかったの?
みんなはなぜ、見えない人の気持ちがわかるのだろう・・・
ある方が、『自分でさえ忘れていた“先週体調が悪かったこと”を「もう大丈夫なの?」と友人が心配してくれました。どうしてこの人は他人の体調のことまで覚えていて、しかも心配までできるのだろう・・・自分には絶対できない!!』と話してくださいました。
幼いころからのご自分を思い返してみると、人のことを気遣ったり、雰囲気を読んだりすることが苦手で、現在もママ友とのランチに向かう時は、かなりの勇気と気合いが必要なのだそうです。それでも、自分がランチを断わることで子どもが仲間はずれになったり、いじめられたりしないように時々は頑張って行くのです!!
今、自分も同じだなぁとびっくりしている方もいらっしゃるかもしれませんね。
学校でも、職場でもコミュニケーションが大事と言われる世の中。そんな事を言われてもできないのにどうしていけば良いのでしょう・・・うまくいかない自分の行動と気持ち。生きづらさを感じて、自分が知りたくて、本屋やインターネットで“自分”を調べてみたことはありますか?
今、苦しんでいても、きっとご自分に合った生き方があるはずですよね。なかなか踏み出せなかった一歩を踏み出してみませんか?
これからの人生をあなたらしく生きるために・・・。
人を大きな窓に例えます。その中を4つに区切って、私たちはその4つの窓を通して人と係わっています。
まず一つ目の窓は、自分について自分が公表している部分で自分も他人も知っているところを『解放の窓』といいます。今の自分を人と自分とが共通の理解を持ち、飾る必要がなく居心地のいい窓です。
次に、自分について自分は気がついていないが他人は気が付いているところを『盲点の窓』といいます。自分を客観視できていない状況です。こうあらねば、こうありたい、でも出来ない…。認めたくない自分にわざと気が付かないのかもしれません。また気づくチャンスがあっても受け入れないという事もあります。
3つ目は、自分について自分はよく知っているが他人に隠しているところを『秘密の窓』といいます。周りに合わせようと自分を抑え、我慢ししっかり者を演じてきた自分。飾っている自分。仮面をかぶっている自分。秘密の窓は維持するのにエネルギーを使います。
そして4つ目は、自分について誰も気が付いていない未知の部分を『未知の窓』といいます。
心地よく人と関わっていくには『解放の窓』を大きくしていくことが必要です。コミュニケーションは『盲点の窓』と『秘密の窓』に気づき、ありのままの自分をを受け入れていくことで少しずつ改善されていきます。自己開示(自分についての情報を相手に伝えること)をし、フィードバックで客観的な自分を知り気づきを獲得し解放の窓を広げていくのです。
出来ない自分も肯定的に受けとめ、自分をオープンにしていくことは時に勇気も必要です。ですがそうすることで人間関係を心地よくさせていくのです。
忙しい毎日
ときどき友人とおしゃべりをしたり、趣味に没頭したり、 運動で汗を流したりと、
楽しめることで気分転換を図ろうとする 楽しめる行動を日常に取り入れていくことでストレスをためずに 心の健康を保っていこうと思う
でも残念なことに、楽しむ行動を本当に楽しめていない私
飲みにいってもちっとも楽しめない 笑っていてもどこか冷めている自分
旅行に行ってもすぐに帰りたくなっちゃう
せっかくここまで来たのだからと名物を食べ、 名所めぐりをすることを義務化している自分
まるで「楽しむ」という課題にとりくんでいるみたい
課題が出来ずに苦しむ自分 なんだか本末転倒
飲みにいくことも旅行にいくことも自分で決めているので やめることももちろんできるのだけれど
「楽しむ」ためにはとにかく行かなくちゃ
最近の私はこんな状態 とにかく「楽しまなくちゃ」と強迫的に思う
楽しむことを課題にしてしまったら楽しめない
あー今日はいい一日だった あー楽しかったなぁ~
心の底からそう感じられるようになるには どうしたらいいのだろう
「楽しまなくちゃ」を 「無理して楽しまなくていい」と置き換えてみる
楽しむという課題をひとまず棚上げし 楽しまなくてもいいという許可を自分に与えてみる
自分をしばっている考えからひとつひとつをとき放っていく
そして楽しめない時の感情を 「今ここにあるもの」として受け止めてみる
余計な力を抜いてそのままの自分を置いておく
そうやって義務感を放棄してある種開き直ってみると
楽しまなくちゃと追い込んでいた自分が あまりにおかしく感じる
肩の力を抜いて心の底から楽しめるときが来るのを待ってみよう じきにやってくるかも…。
今年の学会シーズンは、暑い中終わりました。
例年は、11月頃まであるのですが、今年は何故に夏季に集中したのだろう?
昨日、私も今年の最後の発表を日本カウンセリング学会にてさせて頂きました。タイトルは、
失敗への対応から見る自己/他者理解
ー概念的理解の為の枠組みの提案ー
とさせていただきました。
しかし、学会にて私が臨床に取り組む中で大切だと感じてきたこと、気がついたことを共有する中で、私にとって学びが深かったことをうまく概念化し、参加頂いた先生方にお伝えすることの難しさを感じました。
私は失敗をよくする人間なので、「自戒のためか」とのコメントには、納得してしまいました。
恥ずかしいことばかりですが、ここで止まっては益々よろしくないと、様々な形で研鑽を続けていきたいと改めて考えております。
自分のことを見つめる作業は、一生かけても終わりませんね。
このところ、アメリカの精神科医のヤーロムの著書を乱読していて、共感することしきりで、自らの学びを問い直しています。
新学期に入り、様々な新しい出会い、状況にいる人も沢山いることと思います。
ご自愛ください。
先日、認知療法学会における発表について、簡単に書かせてもらいました。
今回の発表にて行った思索的な内容を、ポスターにて発表するということの難しさを感じました。
ある知人が、「玉井が取り組んでいる実証的な部分とのバランスを知っていれば分かるかもしれないけど、そうでないと、この発表は偏って取られたり、理解してもらい難いよね。」・・・然り。
「これは」、とおもった瞬間に、それがとらわれになっていくことを体験しました。
加えて、昨日は日本新臨床学会にて、発表をさせてもらいました。
被虐待事例から観察される,衝動の生じるところ
-クライエントの内的世界と外的現実世界の「乗りかえ」に着目することの有効性-
被虐待者に対するの心理療法、トラウマ治療の経過を報告しながら、私にとって関心のあった「衝動って何だ!」ということについて検討を深めたく、衝動がどの様に生じていくのか、拒絶するものと曖昧なものとの関係性の検討を深めたいと発表しましたが、その部分は取り上げられず終わりました。
しかし、発表をさせてもらうことで、思い込みが見つけられたり、自分の不勉強な部分がよく分かったりと恥ずかしいことは沢山ありますし、関心のあったLemppの概念についての理解が深まったことも合わせて、沢山の勉強をさせてもらいます。
参加いただいた先生方、ご意見を頂いた先生方、また、ご自身の取組みを共有頂いた先生方に感謝です。
臨床を続けながら、日常とは異なった形で沢山の方々に自分の振り返りや考えを表現させて頂く機会を得て、その体験からまた沢山学びを続けて、もう一歩,もう一歩とより良い臨床のために研鑽をしていきたいと考えています。
子どもの頃『このクラスのために頑張りましょう』と先生に言われても、クラスのためって?なんで?と 思っていた私・・・自分個人が褒められたり、認められるためなら頑張るけど・・・
私はつい先日まで、子どもはみんながそう思っているものだと思い込んでいました。
しかし、違ったのです。この思い込みを持ったまま大人になった私は、教室で『クラスのために頑張りましょう』と子どもにおっしゃっている先生に『先生は子どもの頃はクラスのために頑張ったことはないですよね?』と言ってしまいました。すると先生は、きょとんとされて『大好きな担任の先生のために頑張って良いクラスにしようと思っていました』と・・・
本当に驚きました!! そんなまじめな子どもが存在していたとは!!
人と話してみると驚きや発見があります。自分の思い込みに気づかされる事も。
人はそれぞれの経験を経て、ひとつの物事に対しての考え方も様々です。
今は、その違いを知れる事の多いカウンセラーという仕事が大好きです。
今週末、第4回アジア認知行動療法会議学術総会・第13回日本認知療法学会・日本行動療法学会 第39回大会の合同大会が行われます。
私、玉井も発表の予定です。
無意識を活かす認知行動療法に向けた考察
―メタファー、マインドフルネスを活用するための思索的整理-
Study for the Cognitive-Behavioral Therapy to Make Active Use of Unconsciousness
-Conceptual Support to Utilize Metaphor, Mindfulness-
というタイトルです。 認知行動療法は、どちらかというとエビデンスが重視されるので、私の発表のような 思索的な発表が許可されるのかの試みでしたが、無事に許可が出ております。
実際に、クライエントーセラピストの関係の中では、様々な感覚が訪れることもあり、 これは日常生活とは少し異なる部分かもしれません。
そのような様々な意識レベル、無意識など、測定しがたいものではありますが、 その存在が確認されているものについて、少し整理していきたいと考えております。少しでも、発表を見て頂いた方の参考になれば、そして私も勉強をさせてもらえればと考えております。