一般向けに分かり易い認知行動療法の本を出したい、という想いだけは長年。
ようやく、形になりました。
近年、流行?のようなマンガと解説を交互にして、イメージし易くしたものです。
日本能率協会マネジメントセンターからの出版です。
認知行動療法のゴールは、「最終的には自分が自分の治療者になれること」となっていますが、初期または途中では、やはり人の手を借りることも必要だな、と感じることが多いものです。
何かしら、お役に立てることがあれば幸いです。
この春に開催した表記の講座、本日が最終日でした。
多くの方に参加いただき、共に学ぶ機会をもて、感謝です。
臨床として認知行動療法に取り組みながら、今回のように、その学んできたことを
お伝えしていく、という取組みからも、充実感を得られます。
今回は4回という限られた時間の講座でしたが、
「認知行動療法が表面的な対処戦略ではなく、人がどのように変化していくのかを
広く視野に入れた取組みであることを実感できた」
といった感想を頂いたのも、とても嬉しかったです。
認知行動療法は、最終的には自分で出来るようになることを目指すものです。
ただ、やはり最初は人と一緒に学ぶことで、自分の感情や感覚、体のの声をうまく、
否定せずに聴けるようになる、つまりセルフモニタリングがうまくなる、
と改めて実感しました。
また、機会を見て講座を開催していきたいと思っています。
現在、認知行動療法では、様々な疾患別のアプローチを追及する流れと並行して、それら複数のアプローチを統合していこうとする流れがある。
後者の流れで、著名なものは
・アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)
・不安とうつの統一プロトコル(UP) である
どちらも興味深いものであるが、 私自身が後者の取組みを、この数年間、都内クリニックで実践しているなかで、その取組みの効果を実感している。
取組みへの動機付けから始まり、
自分が出来そうなことを確認することで、何とかなりそうだ、という実感を取り戻し、
状況を整理する枠組みを学び、
感情の意味を知り、感情への気づきの訓練を行い、
考え方の検討、
行動の検討、
ここまでで十分という人もいるのだが、更に、 苦手な感情や課題に直面しても大丈夫、となるように、 苦手なものを避けて生活しなくてもよくなるように、
暴露技法をきっちり実践練習する。
その中には、優秀な研究者たちが一生懸命考えてきたアイデアがちりばめられている。
取組むことには、デメリットも伴う。時間も費やさなければならないし、場合によっては費用的な負担もある。 しかし、取組みを具体化させることで、新しい気づきと体験を、それは新しい自己イメージにつながる。
一歩一歩、前に進みましょう。
今日は、簡単な紹介でした。
この2月27日から、私も久しぶりに認知行動慮法の講座を一般向けに開催します。 関心のある方は、是非ご参加ください。
年始から、認知行動療法に焦点を当てて、書いています。
今しばらく、認知行動療法の紹介と、発想の仕方などを書けたらと思っています。
認知行動療法では、考え方のみならず、行動の扱いはとても重要です。
行動を変化させる、これは、気合いや根性だ、と訴える人もいるでしょう。
それを否定はしません。ただ、認知行動療法では、より変化しやすい工夫を考えよう、という姿勢をもちます。
例えば、食事の買い物に行きたいのに面倒で行かずに、有り合わせでなんとかするものの後悔が続く、という人がいます。
いろいろなアイデアが浮かびます。
・何を買うのか前日に決めておく
・買い物が出来た自分に簡単なごほうびをあげる
・この取組みを人と共有して、応援してくれている人からのメッセージを目に付くところにはっておく
・買い物と一緒に、自分が行きたい場所に行くように計画する
・常日頃から、散歩など外出をする
・友達と会う機会を持つ
・安いマーケットに行けて、節約できた分は、好きなカラオケに行く
その他、無限にアイデアは広がるのでしょう。
行動を変化させる工夫、どのような行動をしたいのか、どのようにな行動と組み合わせることで、目的とする行動のハードルが下がるのか、考えてみるのです。
様々な外の機関では、認知行動療法の講座や講師も勤めてきていますが、
今年は2月から、久しぶりに当センターで認知行動療法の講座も行います。
「こころアカデミー」も隣の席の同僚が担当者なので、一緒にやっています。
世の中には、
頑張って、変えられること、
どのようにしても、変えられないこと
があります。
認知行動療法でも、それらを明らかにすることは、大切なステップのひとつです。
変えられないことを変えようと頑張り続けることは、大変です。
そして、変えようとする努力よりも、変えられないことを受け止める努力が求められます。
変えられるのに、変えられないと思い込んでしまっていることもあるかもしれません。どのように変えていけるのか、戦略が必要になってきます。
何が変えられることなのか、そして何が変えられないことなのか、
自分の考えていることを整理してみることで、自分の思いの傾向も見えてきます。
自助グループで有名な言葉で、
ニーバーの祈りがあります。
変えられないことをそのまま受け入れる落ち着きを、
変えられることを変える勇気を、
そして、
その二つの違いを見極める賢さ、私にお与えください。
というものです。
続きもあるようですが、それは省略しましょう。
今年2月からは、久しぶりに認知行動療法の講座も、東京メンタルヘルスにて開講します。
認知行動療法は、様々な技法が優れているので、そちらに目が行くことが多いようですが、実際には質問技法をその土台としています。
皆さんと学べる機会があることを、楽しみにしています。
平成27年の大晦日、紅白を見ながら、春に出版予定の、認知行動療法の執筆をしていました。
懐かしい曲も、改めて聞いてじんわりとする曲もありました。
書かせてもらいながら、認知行動療法に限らず、心理療法の研究と実践を深めてきた諸先輩方の努力を、無にしないようにしなければならないという思いと、このような機会を形にできそうであることに、感謝を感じておりました。
2月頃からは、久しぶりに認知行動療法の講座も開催させて頂きます。
平成27年(2015年)の仕事の最終日に、「120%でやり過ぎだね。もう少し、エネルギーを無駄遣いしないようにできるとよいね」と、お世話になっている河野慶三先生から指摘をいただきました。
だからこそ、取組める臨床もあると実感しているのですが、認知行動療法でも大切にしているように、客観的な自己観察はさらに深めたいものです。
私自身は、基本的に感情の起伏がかなり激しい方なので、このような取り組みに助けられていることも多々あります。そして、その取り組みは、仕事を通してお会いする皆さんのお手伝いに繋がると実感しています。
平成27年(2015年)を終え、新しい年を迎えるということ、過去に学び、過去を手放し、先に進むということです。
皆様にとっての平成28年、様々なことがあると思います。問題が一切なくなるなんてことは、現実的ではなく、目指すところではありません。大変なことがあっても、なんとかなる、まいっか、と思えるように努力し、対応する力を育み、良い一年になりますことを、心より祈念しております。
私も、もう一歩、もう一歩、頑張らせていただきます。
私たちは、様々なことを体験し、その度に私たちの心も何らかの体験をします。
それは、時にはとても感情が出るものでもあります。
感情は、暴走すると厄介で、苦しみが増大することも多いので、ちゃんとブレーキがあります。
「これ以上、怒っても仕方ないかな」
「今回は、…と考えよう」
「出来ることはここまでだよな」
などというものでもあり、そのブレーキは、多くは若い内に身につけます。
ただ、このブレーキをいともたやすく、利かないものにすることができるものがあります。
それが、「私は正しい」という自分を正当化する考えです。
どうやら、脳レベルでも、研究されているとか。
その立場立場で、正しいことは変わってしまいます。
そして、正しい、と思っていることに対しては、相手の話に耳を傾ける必要がなく感じてしまいがちです。
「私は正しい」と思っているとき、ちょっと注意して振り返ってみるのも良いかもしれませんね。
そして、その正しさを確認したい時に、そして違う視点を探してみようとする時に、客観的に誰かと振り返って見れても良いのかもしれませんね。
コラムを続けることは、なかなか大変ですね
いくつか、この場所ではありませんが、mocosukuという情報発信のHPにも
コメントを寄せているものがありますので、そちらも見てもらえればと思います
さて、今回、とある方から「最近更新していませんよね・・・」という
コメントいただきまして、背中を押して頂いた気持ちで書かせていただきます。
ありがとうございました
このところ、グリーフについて勉強を進めています。その前に、論文で
心理相談は「わからないこと」を「わかろう」とする取組みなのではないか、
ということを書いていました。
まさに、どう解決するのかわからない、どう付き合えば良いのかわからない、
どうすればよいのかは分かるけど、どうすればそうなるのか分からない、
沢山の分からないこと、そのことで生じる苦しみや不安、
それを「わかる」のかもしれないし、「わからないけど、いいや」と思うのかもしれないですね。
悲しみと、怒りと、様々な感情と、いろいろな人と、更には自分と、
どのように付き合えば良いのか、どのように考えられると良いのか、
能動的に、取組みを続ける中で、受動的な理解が訪れるのを待つのかもしれない。
少し、まとまらないままに書いてしまいました。
また、書きます。
読んでいただいた方、ありがとう。
このところ、地球が生きていることを実感するようなことが増えている気がする。
火山の爆発、地震と予期しても仕切れないものである。
地球の上にいる限り、そのリスクからは程度の差はあれ、逃れられない。
直接に被害を受けた場合には、それは大きな苦痛を生じることとなろう。
これは気をつけても完全には逃れられないが故に、理不尽な体験と感じる向きもあろう。
理不尽な出来事に直面した時に、そのことに自ら対処する一歩を始めるまで、時間がかかることもある。
そして、対処が始まった時には、ざっくりと二つの方向性に向けた動きとなる。
具体的に行動して対処していくこと、つまり何らか変えていけることに対して働きかけることがある。もう一つは、心の中で整理すること、つまり変えられないことをどのように受け止めるか、ということとなる。
日々の生活の中で、私自身も取り組むことがある。
誰にとっても、このような取組みが進み、少しでも心が和らげられる時間を持てるようになることを、そのために良い出会いに恵まれることを祈念する。
日本嗜癖行動学会の学会誌、「アディクションと家族」の最新号に、
『認知行動療法のアディクション治療における対話技法を主とした効果の考察』
という拙著の論文が掲載された。
タイトルを改めて見直すと、混乱するが、内容はざっくりと
認知行動療法がどのようにアディクション治療に適用されているのか、
その効果についての簡単な報告、対話技法と実施の工夫について述べたものである。
私の現在のスーパーバイザーである、堀越勝先生から教わってきたことから、
発想をいただいたことが多くを占める。
専門誌とはいえ、時になかなかに面白い読み物となる雑誌である。
少しでもお役に立てれば幸いである。
とある報告で、専門誌にのる論文は、8名ほどに読まれるだろう、そのうちの一人は
親である、と言ったものを見たことがある。
あまりにもさびしいので、自ら紹介をしてみることとした。
ご了承あれ。